荒廃した竹林の過去と現在
もとはと言えば筍や竹細工のために植えた竹。里山生活が循環していた頃は竹林は整備されていました。やがてプラスチック製品普及と共に竹材は使われなくなりました。過疎化高齢化により筍の生産者が激減しました。そして人は竹林に入らなくなったのです。
生命力の強い竹は地下茎を広げて繁殖します。住宅の床下に侵入して床を突き破り、田畑に進入して耕作困難になります。さらに驚異的なスピードで背を伸ばし、枝葉を茂らせ周囲を日陰にすることで広葉樹を駆逐します。
広葉樹が生えず、極端に密生した竹林だけが残った森は多様性を失い、野生動物は餌が無くなり里に降りてきます。本来なら川と海に流れ込むはずの木々の栄養分も無くなり、水中の生物多様性も失われていきます。
深く根を張る広葉樹が無くなった山肌は地滑りを起こしやすくなります。土砂は里を襲い、インフラを遮断し、川に流れ込みます。そして土砂と共に竹の根が下流へ運ばれ、川岸や中州に漂着して根を下ろし、そこで繁殖を始めます。
手の施しようのないほど繁殖した竹は10~20年サイクルで枯れて倒れ、下流で廃棄物として堆積していきます。河口や砂浜が荒廃していく。漂流竹は漁業の網を破り、海藻や貝の養殖場を荒らすのです。
あるべき姿の自然環境と竹林
竹林を適切に伐採することにより日当たりが良くなった場所には広葉樹の森が復活します。バランスを取り戻した山から、豊富な栄養を含んだ水が川に流れ込みます。
「裏の竹藪」「道端の竹藪」に手が入り、明るくなった道や里山では地域の安全性が高まります。
入りやすくなった竹林は、竹を資源として活用しやすくなります。筍やメンマ(2mほどに伸びた筍を使う)などの食材として。竹炭を焼いて土壌改良や雑貨として。竹の資源活用の可能性は多岐に渡ります。
人々が集う竹林を作り出すことで、環境教育の場となります。地域の里山への関心を取り戻し、コミュニティー形成のきっかけを創出します。
海の水が蒸発して雨となり、山々に降り注ぎ、川に流れ込み、恵みをもたらします。「森は海の恋人」。上流域に生きる私たちは、この言葉に責任があります。
NPO設立の経緯
諏訪湖から太平洋まで流れ込む天竜川。長野県南部の飯田市には、天竜川が流れる渓谷「鵞流峡」があります。 かつては紅葉の名所として知られていましたが、いつしか荒廃した竹林に覆われてしまいました。 渓谷の上を通る県道には日が当たらなくなり地元の人から「通るのが怖い」という声が出るほど。しかも人目がないのをいいことに、不法投棄やごみのポイ捨てが後を絶たないというひどい状況でした。
しかし、慢性化していた環境破壊を当たり前とせず立ち向かっていった人々がいます。 鵞流峡にて観光事業を行っていた船頭と、地元の方々の有志。 2012年から整備を始め、2015年には「天竜川鵞流峡復活プロジェクト」を結成し、急峻な斜面での竹林整備を行いました。 それによって明るくなった県道には散歩を楽しむ人が増え、ごみは激減し、紅葉など広葉樹が芽吹き始めました。
また、竹林整備だけではなく、竹いかだ体験、渓谷内で採れた伸びすぎた筍を活用した国産メンマの製造販売、地元の学校と連携した環境授業などのコンテンツを生み出し話題となりました。
このプロジェクトの成功事例は、周辺地域はもちろん西日本の各地に波及しはじめました。 講演会、竹林整備講習、国産メンマ製造講習などの依頼が相次いでいます。当初は鵞流峡のみの活動でしたが、その枠を自ら外して広域にチャレンジしていく必要を感じ、新たに有志で新団体を立ち上げました。
これが「NPO法人いなだに竹Links」の誕生の経緯となります。